720 :おさかなくわえた名無しさん 2013/06/25(火) 18:21:34 ID:xcyrHVKr
終戦記念日なので一つ
大伯父は県の誉れ、国の宝と戦前はちやほやされていた(何でかは聞かないで下さい)
しかし戦時中、真っ向から特攻隊に反論して憲兵に連れて行かれたという
急いで県のお偉いさんが連れて行かれた場所へ向かい
「報国の功労の家門であり、天皇陛下にも謁見したこともある名家の跡取りです。心神喪失となっておりますのでなにとぞ」
と土下座して許してもらったという
祖父は海軍だったが、絶対にタヒなないで家族の元に帰る。兄を助けて家をもり立てる!と誓って特攻から逃げ回ったという
で、祖父から聞いた話では特攻したけど飛行機だけ船に落ち、自分は泳いで帰還。しばらくして終戦となったとか
しかし実際はとにかく生きて戻ろうと必タヒに逃げ回っていたんだとか

今だから話せると母が教えてくれた

721 :おさかなくわえた名無しさん 2013/06/25(火) 18:21:35 ID:23JmeQhr
それは武勇伝でもいいな。
722 :おさかなくわえた名無しさん 2013/06/25(火) 18:21:36 ID:xGgncOAy
>>720
しがない歩兵として東南アジアさまよってたら終戦になったうちの祖父とはえらい違いだ
しかも帰国したものの、着いた港で騙されて全財産
(上官から港から家に帰るまでの交通費をもらっていた)を失って
仕事をしつつ家を目指して歩きつつ、やっと家に帰れたときには帰国から3ヶ月たっていた。
祖母の家(電話もなかったど田舎)には
「今港に着きました」のハガキが届いてから連絡が途絶えたので
「こりゃ行き倒れた」とか「いい人ができたんだな」と思われていたらしい。

家の外で遊んでいた私の伯母(当時6歳)は、帰ってきた祖父が
服もぼろぼろ、ヒゲぼうぼうのホーム乚スのような出で立ちだったので
「物乞いがきたから追い出していい?」と祖母に無邪気に聞きに行き、
祖母がホウキを持って追い立てようとしてよく見たら自分の夫だったそうだ。
祖父にしてみると、必タヒの思いで帰ってきたのに
奥さんと子どもに叩き出されそうになるとかwww

ただそこで本当に叩き出されてたら私も生まれてなかったので
(母は祖父の帰国後にできた子)祖母が気づいてくれて本当に良かった。

ただその後の祖父が戦争と帰宅時のショック(当時はそんな言葉なかったけど)を理由に
いわゆるフリーターのような仕事しかせず、祖母がとても苦労して
4人の子どもを育て上げたのはまた別のお話。
そんな祖父も年金生活者になってからはそこそこ平和に過ごしました。
今年、10回忌。
725 :おさかなくわえた名無しさん 2013/06/25(火) 18:21:39 ID:VNPt/V5/
>>722
戦勝国民を名乗る奴に騙されて全財産騙し取られた情景が見てきたように浮かぶわw
724 :おさかなくわえた名無しさん 2013/06/25(火) 18:21:38 ID:dnzGsXht
歩兵とはいえ恩給が出ただろうから祖父GJだったと思うよ

水木しげるさんみたいに地獄を彷徨った人も居れば、知り合いのおじいさんに
聞いた話では海岸で銃を持って一日中座ってて終戦を迎え恩給をもらえてる
人もいたし、色々だよね