両親


1 :名無しさん@おーぷん 2017/10/13(金) 18:22:36 ID:3qn
離婚するらしくて弁護士雇ったって
親父の行動力の早さどないなってんねん



503 :名無しさん@おーぷん 2017/06/25(日) 09:58:35 ID:udZ
お母さん。
小学校入学前の冬、高熱を出してしまい、つらくて泣いていたら母は鬱陶しく思ったのか私を下着だけにして寝室の押入れに閉じ込めた。ごめんなさい、許してください、出してくださいと何度も叫んだが意味もなく。気がついたら眠っていた。
目が覚めて、そっと扉を開けたら薄っすらと外は明るくなっていて、母は押入れのすぐ横に布団を敷いて眠っていた。
そんな時間に1人起きていることが特別に感じられて少しドキドキしながら母を起こさないように抜け出して、窓の外を見ると雪が降っていた。
きれいだなあと思ってしばらく見つめていた。雪国の山の中に建つ家で、早朝ともなれば人どころか車通りもなくて本当に静かだった。一人ぼっちだなあと思った。寂しくて寂しくてしょうがない気持ちになり、母のほうに振り向いたけれど親は頭まで布団をかぶっていて寝顔も見えない。
私に気づいて、一緒に寝ようと言ってくれないかなあと思ってしばらく待った。母が寝返りをうった時、起きたらまた叩かれるのではないか、それとも布団に招き入れてくれるかと、不安と期待でまたドキドキしたけど、母は目覚めなかった。
私は諦めて、ちゃんと敷かれていた自分の子供用の冷たい布団に潜り込んで1人で眠った。
母は、私の落書き帳の最後のあたりのページに「◯◯、ごめんね」と書いていたけど、私は気づかないふりをした。


964 :名無しさん@おーぷん 2018/01/20(土) 09:22:39 ID:3cM

妹に散々食い物にされた挙句、恩を仇で返された。

8つ下の妹がいる。この妹が20歳の時デキ婚した。
大学生だったから中退して家庭に入ったけど、相手も同じ20歳の大学生だったことから生活が成り立たず、親に頼まれて妹夫婦に可能な限りの援助をしてきた。

結局、妹は二年足らずで離婚してそのあとすぐ再婚したが、それも子供だけ増やして離婚になった。体が弱い両親は助けたくても助けられず、それなりに生活にゆとりがあった私が金銭面で支援を続けた。

その間に私も結婚し、夫の理解もあったから妹には仕送りを続けていたが、昔頭の血管を切って以来父は入退院を繰り返していて、夫と相談の末家を買って二世帯同居することになった。

そこに妹が転がり込んできた。
離れて暮らしていたから妹がそれまでどういう暮らしをしているのかまではわからなくて、簡単に受け入れてしまったことを後に悔やんだ。
妹はとにかく恋多き女で、母親になりきれない人物だった。
私が多胎児を妊娠中、自分の子供を私たちに預けて自分は彼氏と連日のようにデートをしていた。
見かねた両親が叱っても治らず、かといって子供がいるのに寒空に放り出すわけにもいかず、私のお腹が大きくなっていたこともあって大事をとって入院することになったこともあって結論がでないまま時間が過ぎた。
結論がでないまま時間が過ぎた。

ここからはどうしてそういう展開になるのかナゾなんだけど、親とコブつきの妹の同居にも嫌な顔を見せなかった夫が私の入院先に来て、これ以上彼らと暮らせないと言われた。

私が入院中、妹は夫に跨ろうとしたらしい。
私を追い出して夫と再婚して、家族で仲良く暮らそう! 
両親も賛成してくれたw と夜這いに来た妹に言われ、嫁の妹と一線を越える趣味などない夫が両親を問い詰めたところ、「姉子(私)は収入もあるし、強い子だから一人で大丈夫だけど、私たちは誰かに支えてもらわないと暮らしていけないから」とわけのわからない趣旨の発言をしたそうだ。

問い詰めに帰宅しようにも逆に寝込んで枕から頭があがらなくなった。
両親と妹が心底気色悪いと、夫は自宅に戻らずマンスリーを契約してそこで暮らしはじめた。
体調が落ち着いた時に夫が同席している場で自宅に電話をしてどういうことか問いただした。
夫が言われたのとほぼ同じ趣旨の言葉を聞いた。
私は夫と別れて夫は妹と再婚し、私は夫婦でローンを組んだ家から追い出されて、おなかの双子をひとりで産んで育てろってこと。
すでに私の荷造りは済んでるから、産んだら引っ越しなさいねw って母に言われた時にはあまりのことに血圧があがった。
妊婦でなければ自宅に怒鳴り込んだと思う。

夫婦の意見は両親と妹をまとめて廃棄で一致していたから、夫に一切合切任せた。
大掃除感覚でやっちゃってと言って、無事に産むことに専念した。
夫は近県に住む自分の身内を集めて両親と妹を追い出してくれた。
子供がいるのに追い出すの?私たちは弱いのに!!って母と妹は泣いて暴れたそうだ。
父はどちらかと言えば無害だったけど、日和見主義なので強いほうの意見に乗っかる人だからアテにならずまとめて廃棄。
存命中の母方の親類に事情説明のうえで身柄を引き取ってもらった。
家の鍵も交換して、セキュリティー対策もしっかりして、空き家になってしまった一階部分には夫の兄の仕事(設計関係)の事務所として貸し出すことになった。

母方の親類が両親と妹を監督してくれているが、一度私の入院先に凹してきた。
夫が事前に病院に根回しをしてくれたおかげで会わずに済んだけど、一時期留守電が慈悲を求める声でパンクした。
あそこまで私たち夫婦をコケにしておいて、今更私に助けを求める神経がわからない。
姪ふたりまでまとめて廃棄してしまったけど、母方の親類は農家なので飢えてタヒぬことはないはずで、今は無事に生まれた双子の育児に専念してる。



69 :名無しさん@おーぷん 2015/04/12(日) 10:00:00 ID:9VX
放置子メンタルで義理の姉妹を家から追い出したこと
11の時、実の父に引き取られた
私の両親は私が物心つく前に離婚、母が私を引き取ったものの
ネグレクトが露見した結果、父が親権を取り上げたのだ。
父の家には、私と同じ年の女の子がいた。血縁関係はない。
父の再婚相手の子供だった。後妻は私を引き取る少し前に亡くなっており
それが、それまで新しい妻子に遠慮して一度も会いに来なかった
私の様子を見に来るきっかけになったと聞いた。
私は所謂放置子というもので、一目で父はうちの不健全さに気づいたらしい。
母は養育費なしと聞くや簡単に私を手放すような、まあそんな人だった。

ずっと一緒に暮らしていた義理の娘とずっと離れて暮らしていた実の娘。
あたらしい家庭の中で異物は間違いなく私のほうだった。
父もそう思ったんだろう、私に多くの時間を割いた。
姉妹で同じことをしても私だけ褒められたり、私だけ叱られなかったりすることがままあった。
それまでの境遇を考えて父は精神的なケアを優先したんだろう。
それがその子には気に食わなかったらしい。
元々私は彼女にとって自分の領域を侵す他人で父親を半分も奪う侵略者だった


875 :1/2 2014/01/19(日) 12:16:03 0
文才ないので簡単に。

俺と兄貴は4歳違いの兄弟。
父親は中小ガテン企業のワンマン社長で、超支配型。
母親はモラハラでヒステリーの猛毒親。

父親に殴られ、母親にモラハラで抑えつけられ、中学生になっても素っ裸で外に立たされる、
裕福なのにわざと修学旅行等の積立金を滞納して恥をかかせられる等々のしつけ?を受けつつ
大学卒業とともに兄貴がトンズラ。
俺も高校卒業とともにトンズラ。

「お互いタヒぬまで親から逃げおおせよう!」と祝杯をあげ、
携帯番号のみを交換して兄弟散り散りに別れた。
それ以後一度も兄貴から連絡はなかったが、便りがないのは元気な印だと思っていた。


797 :名無しさん@おーぷん 2015/08/12(水) 12:02:48 ID:TWn
夜中に酔っぱらって親父、帰宅。同じく同僚の酔っぱらいを連れて
「×子(母)オラ、出てこい!」怒鳴る怒鳴る
近所迷惑なので姉と俺が渋々起きる
酔っぱらい同僚、最初から説教モード「亭主をATM扱いとは何事だ!」姉に向かって怒鳴る
チンピラがやるみたいに顔を近づけ、威嚇に入ってやがったので俺が後ろから剥がし
後ろでニヤニヤしてる親父目がけて突き飛ばし
「またかよ!こりねーな!」って同じように顔を近づけて「ああん?」としてやった
酔っぱらい同僚が「親に向かってその態度は何だ!」とまた説教モードに入った
姉が立て板に水で、すでに離婚は成立していること。離婚理由は父の浮気であること。慰謝料にこの家を母名義にしたこと
この人にはもうこの家に住む資格はないが、次の家を見つけるまでのお情けで置いてやってること
なのにズルズルと居座っているただの居候であること。等々を慣れた口調でダーっとしゃべった
同僚は途中まで「ンだゴラ」「うっせー」と怒鳴っていたが
途中から姉の言葉が頭に入りはじめたらしく沈黙
最後に姉が「ちなみに私はこの人の元女房でなく娘。離婚しても親子の縁は残念ながら切れないし
ATM代わりも何も成人するまで子を養育するのは義務。義務を背負うのが嫌なら今一度弁護士に相談することになるが」
と言うと親父が頭を下げて「ごめん、ごめん。あいつ(母)には言わないで」


87 :名無しさん@おーぷん 2014/11/01(土) 04:13:14 ID:KdzHY1Dto
小学校の頃夜逃げ
中学の時母親が浮気
浮気を問い詰めるとヒスった母親が私含め子供を殴る首しめるなどやる
中学の時、一切食費も食事もなかった
なんとか食いつないでた日々
その頃母親は浮気相手と同棲
高校行きたくても学費など一切出してくれず定時に通う
その学費もバイトで賄うが定期代も住んでる所は高く厳しい日々
ついに親離婚
数年後発覚、母親の父が払っていた養育費の使い込み
色々あって、姉が子供残して失踪
そして父が自杀殳したとの連絡
母親は当時浮気していた男と再婚 
マイホームを建て幸せそうに暮らしてる

自分は今27。母親を恨んでも仕方ないと最近やっと思えるようになったけど、25くらいまでは心から恨んでいてずっと修羅場だった。
結婚も生涯できないだろうし、子供を愛する気持ちもわからないから、今は老後貯金をしてるところ 
誰にも言えなかったけど、吐き出して前に進みたくてカキコ。


789 :名無しさん@おーぷん 2017/06/11(日) 15:16:17 ID:ARC
長文乱文で申し訳ないけど書いてみる。
実家の家族(両親と兄俺妹)と久しぶりに飯行った時の話。

最初は皆の希望でチェーンのうどん屋に行く(割り勘。妹は中学生なので親持ち)って話だったんだが、兄貴が「たまには奢るよ」と言うと母親が駅前のイタリアンに行きたいと言い出した。
前者なら1人700円~で後者は1500円~なので図々しいなとは思ったが、兄貴が仕方ねーなぁと笑ってたため特に指摘する事もなく、有り難く甘える事にした。

で、イタリアンに着きメニューを見て兄貴と気遣いの妹は予想していたより高かったようで固まった。
両親はそそくさと2000円近いパスタ+ドリンクに決め、ニコニコしながら息子らのメニューが決まるのを待っている。
兄貴と妹は800円のサンドイッチとアイスコーヒーのランチセットを頼もうか…うーん…と悩んでいるので、携帯に『俺も半分出すから好きなの頼め』と打ち込みテーブルの下で回し読み。
それで多少安心したらしく、それでも遠慮してランチメニューの1300円の物を3人とも注文した。

しばらくして商品が運ばれて来て食事が始まると、スパゲティをズバズバ吸い、スープをズズズッと飲む両親。
静かな店内で悪目立ちする中、ゲップとクチャ食いをかます父。
「味見させて~」「こっちも食べなさい」と皿から皿へ食べ物を勝手に移動させる母。
ゆっくりと食事したかったけど食べてすぐ退店しました。
会計は1万ちょい。割り勘申し出なかったら流石に兄貴かわいそうだったよ。

車に乗り「やっぱり良い店は美味い」だの「肉は脂身が少ないから安いヤツ」「あれはケチャップ煮込みだったな(デミグラス煮込み)」だの講釈垂れ流しの父。
「私の店選びが良かった」「次は誰がご馳走してくれるのかしらね~(チラッ」と母。
ちなみに両親共に靴屋の外でワゴン売りしてるサンダル履いてた。
ご機嫌な両親と軽く不機嫌な俺と兄貴の板挟みで妹も楽しくなかったと思う。
帰宅してからブチギレた妹と何も理解できない両親でケンカしてたし。

で、だ。
来月兄貴が結婚するにあたって両家の顔合わせがあるんだが、上記の事があったのでかなり不安。
思春期の妹は今回の事で両親の人間味にショックを受けたらしく絶賛反抗期中だし、両親は先の出来事をまるっと忘れてお花畑だし絶対何かやらかす。
兄貴に「俺が対処しきれなかったらフォロー頼む」と言われ「俺の時も頼むよ」と絆が深まった。

あー不安だ不安だ。


162 :名無しさん@おーぷん 2017/06/28(水) 19:46:10 ID:rMZ
過疎ってるのでひっそり投下w

実家の父が倒れて介護が必要になったとき、父を引き取りたいと夫に申し出て大喧嘩になった。
ふたりで建てた戸建て、いつか親の世話をしなきゃいけなくなった時のためにと
部屋は余分に造ってあったのでまさか反対されるとは思わず
私は仕事を辞めるけど、金銭的に迷惑はかけないことを申し出て引き取りを相談したが
夫から了解を得られなかった。
今更他人に入られて窮屈な生活をしたくないと。
建てたころから気持ちが変わってしまったのは仕方がないし
これまで自由に暮らしていたから窮屈になるってその気持ちは分るけど、
母が亡くなった時に何もできなかった後悔があったので
父の介護は精一杯やりたくて説得したが理解してもらえなかった。
そんな時、父は一人娘に迷惑を掛けたくないと言い老健に入ると言い出した。
ずいぶん悩んだが、結局は引き取っても父が気疲れするだけだと思い受け入れた。
それから2年、洗濯物や雑事で週1~2回顔を出す日が続いたが
ある時父がインフルエンザに罹り高熱が続いてると老健から呼び出しがあった時に
たまたま同じタイミングで義父が自転車で転んで怪我をし
病院に連れて行ってほしいと義母から電話があった。
私はすぐに夫に電話して、そういう事情なのであなたが連れて行ってあげてほしいと言ったら
大事な会議があるので無理だから老健で話を聞いてから連れて行けばいいだろうと言われた。
ところが老健に着くと入院させたほうが良いとのことで、付き添っていかなければならなくなった。
義実家にその旨伝えると「困った」を繰り返すばかり。
父の病状を気遣う言葉なんて一言も出ず、それどころか
「一人娘さんなんか貰うんじゃなかった」と言われたことが突き刺さった。
これまで何度も義実家のお手伝い等してきたのに何故今更そんなことをと。
その後しばらく父は入院し退院後は老健に戻ったものの、目に見えて弱っていった。
そして退院してすぐに誤嚥性肺炎で再び入院、それから数日で息を引き取った。
この頃から夫に対する気持ちは急速に冷めていった。
父の介護に一切ノータッチだったのは別に構わない。
そりゃあ一緒に心を砕いてくれたらとは思うけど。
でも何もしてくれなかったのに葬儀の時には「一人娘の嫁を貰ったから義親の面倒を見るのは当然」
「精一杯やったから悔いはない」「肩の荷が下りた」などと言ってるのを聞いてしまい
腸が煮えくり返った。


52 :名無しさん@おーぷん 2014/05/16(金) 20:33:59 ID:???
カーチャンがいつかタヒぬ生き物だと実感した瞬間。
健康診断にひっかかって、再検査してもやっぱりそうで入院が決定して
ああ、カーチャンっていつまでも生きててくれるわけじゃないんだと初めて実感した
理屈じゃわかってたんだがそれまで身近に起こるものだと思ってなくてパニくった

カーチャンはロボットのように丈夫で、働いて帰ってきたらメシつくって
洗濯して家をきれいにして風呂を沸かして親父の面倒をみるそういう生き物だと思ってた
メンテせずとも永遠に動くような気がしていた
でもそんなことあるわけないよな…

でも焦燥感があるだけで別に何するわけでもないんだよな
頼られもしないし、何かしてくれとも言われない
見舞いにくらい行った方がいいんだろうけど
なに持って行ったらいいかもわからない
バスの乗り継ぎ方も知らない

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