別れ
【気団の恋愛】彼女のことしか考えられず、何年も前から離婚しようと思ってたが、ずっと待っていてくれた彼女に心のどこかで甘えてた そして「もう限界です、待てません」と振られた
あー転勤で2度と会えなくなった さよなら俺の恋
「本気で好きになったので離れましょう。二度と浮気はしないで。奥さん大切にして。今までありがとう」って切られた 良い女だったな 最後の青春だ
今日浮気相手と別れた つきあって半年、30歳の彼女からプロポーズをせまられた むこうは俺が既婚者と知らない これ以上彼女を不幸にできない
2年間同じだった息子の担任がすげー厳しくて親からクレームが出まくってた でも息子はその先生のことが好きだったらしく終業式の後に号泣してた
616: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/03/25(水) 12:23:39.60 .net
昨日うちの子どもたちの小学校が終業式だったんだ。
息子は2年生で、2年間同じ先生だった。その先生が、1年の頃からすっげー厳しくて
泣きながら勉強させられる子続出www
俺は厳しいのは反対しないけど、他の親からはクレーム出まくったwww
そんな厳しい先生の元2年間頑張った息子、昨日俺が仕事から帰ったら号泣してた。
理由を聞いたら「先生と別れるのがさみしい~」だって
あんなに厳しかった先生だけど、やさしい一面や面白い一面もあったみたいで
すんごく好きなんだって
30分くらいずーっと泣いてたよww
うちの息子かわいすぎwww
息子は2年生で、2年間同じ先生だった。その先生が、1年の頃からすっげー厳しくて
泣きながら勉強させられる子続出www
俺は厳しいのは反対しないけど、他の親からはクレーム出まくったwww
そんな厳しい先生の元2年間頑張った息子、昨日俺が仕事から帰ったら号泣してた。
理由を聞いたら「先生と別れるのがさみしい~」だって
あんなに厳しかった先生だけど、やさしい一面や面白い一面もあったみたいで
すんごく好きなんだって
30分くらいずーっと泣いてたよww
うちの息子かわいすぎwww
最愛の嫁との出会いと、ある日突然別れが訪れた話
702: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/06/03(火) 07:53:59.56
どこに書いていいか分からないから、ここに書かせて下さい。スレ汚しすまん。
家が貧乏だった俺は必死に勉強し、国立大学を目指していた。オヤジとオフクロも必死に
働いてどこにでもあるようなごく普通の幸せな貧乏家庭だった。ところが、俺が高校1年
の時にオヤジが末期がんになり、呆気無く他界。将来の夢は特に決めてなかった俺だが、
よくあるような「オヤジみたいな末期がんの患者を救いたい」とか何とか思い立って、ど
うせ国立で同じ学費なら文系より医学部を目指そうとしたのが高校2年の春だった。少な
いながらもオヤジに掛けてあった生命保険があり、国立大学であれば問題なく行かれると
オフクロも応援してくれた。
貧乏育ちの不幸な生い立ちだと、ドラマでは東大主席で卒業するような超優秀な奴だった
りするんだが、俺はその点目立った成績では無く、東大や京大なんて逆立ちしても入れな
い。でも、関東のどこか医学部に入りたいなあと思ってはいたので、ギリギリ妥協して関
東甲信越地方のある国立の医学部に合格した。
この大学のある町はそこそこ田舎だが、東京にも割りと近いから実家にたまに帰るのも問
題無い限界地域だった。まあ、実家と言っても賃貸だけどな。それでも、小さい頃からず
っと住んでた一軒家だから愛着がある。小さい頃からの思い出もあるし、それこそ俺の成
長の記録である柱の傷ってのもあったりするんだ。
俺が大学を卒業し、研修医として附属病院で勤務してる時、オフクロがぽっくり逝っちま
った。死因は急性硬膜下血腫。パートに無断欠勤するような人じゃ無いからって、一緒に
働いてる人が無断欠勤した日に家に見に来てくれたら、冷たくなってたそうだ。医者の不
養生とはよく聞くが、どうして唯一の肉親だった母親の体調くらい気遣ってやれなかった
のかと悔やんでも悔やみきれなかった。
家が貧乏だった俺は必死に勉強し、国立大学を目指していた。オヤジとオフクロも必死に
働いてどこにでもあるようなごく普通の幸せな貧乏家庭だった。ところが、俺が高校1年
の時にオヤジが末期がんになり、呆気無く他界。将来の夢は特に決めてなかった俺だが、
よくあるような「オヤジみたいな末期がんの患者を救いたい」とか何とか思い立って、ど
うせ国立で同じ学費なら文系より医学部を目指そうとしたのが高校2年の春だった。少な
いながらもオヤジに掛けてあった生命保険があり、国立大学であれば問題なく行かれると
オフクロも応援してくれた。
貧乏育ちの不幸な生い立ちだと、ドラマでは東大主席で卒業するような超優秀な奴だった
りするんだが、俺はその点目立った成績では無く、東大や京大なんて逆立ちしても入れな
い。でも、関東のどこか医学部に入りたいなあと思ってはいたので、ギリギリ妥協して関
東甲信越地方のある国立の医学部に合格した。
この大学のある町はそこそこ田舎だが、東京にも割りと近いから実家にたまに帰るのも問
題無い限界地域だった。まあ、実家と言っても賃貸だけどな。それでも、小さい頃からず
っと住んでた一軒家だから愛着がある。小さい頃からの思い出もあるし、それこそ俺の成
長の記録である柱の傷ってのもあったりするんだ。
俺が大学を卒業し、研修医として附属病院で勤務してる時、オフクロがぽっくり逝っちま
った。死因は急性硬膜下血腫。パートに無断欠勤するような人じゃ無いからって、一緒に
働いてる人が無断欠勤した日に家に見に来てくれたら、冷たくなってたそうだ。医者の不
養生とはよく聞くが、どうして唯一の肉親だった母親の体調くらい気遣ってやれなかった
のかと悔やんでも悔やみきれなかった。